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ドーマン法の実際、結婚、子育て |
「ラブちゃんが本を書きました!」大畑楽歩さん(2/3) |
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| 2009年10月26日 更新 |
自伝を執筆しようと思ったきっかけは?

「奇跡のラブちゃん」の表紙
私は1980年後半ごろドーマン法で奇跡の回復を遂げた「奇跡の少女ラブちゃん!」と新聞・週刊誌・TVニュースやワイドショーなどマスコミに取り上げられたことがありました。両親は心の底からドーマン法は素晴らしい治療法だと信じて(信じていなければ、取り組めないほど、とても過酷な療法です)おりましたが、子どもながらに私は「こんなので脳性麻痺が治っちゃうなら誰も苦労しないわよ!」と思いつつ、魔法にでもかかってしまったのかというぐらい夢中になっている両親を、まだ若干10歳足らずの子どもには、どうすることもできず、自分の気持を押し殺し、ただニコニコしながら両親についていくしかありませんでした。
その当時からも感じておりましたが、辞めた後、月日が経過して初めて見えてくる様々なドーマン法のデメリットを感じていく中で、私はいつの日が、すべてのしがらみを取り除いて真実を語らなければならない、それが私に課せられた使命なのだと強く思うようになりました。
出版業界が最も氷河期だと称される今、私のような無名の者に手を差し伸べて下さった出版社のアストラさんと出会えたことこそ、成し遂げられることであり、そんなアストラさんの勇気と期待にお応えするためにも、嘘偽りのないありのままの味に仕上げたいと思っております。
大畑さんはご両親が過去に出版されていますね。どのような内容の本だったんですか?

読売テレビの撮影風景
先のご質問でも、お答えしましたように、1980年代後半から1990年前半にかけ「奇跡の脳性麻痺児」としてマスコミ各社に取り上げられた時に、出版のお話を頂いたようで…。
当時はまだ1日の大半をドーマン法の訓練にあてがっていた真っ最中で、両親が執筆にさく時間がありません。その為、すべての訓練を終え、私が就寝したのち、明日の訓練に必要な学習用具を作る時間に、両親はこれまでの事柄をテープに録音し、それをそのまま、おこしてもらう形でこの本(=『奇跡のラブちゃん』)が作られました。
楽歩の誕生から普通学級に入れる際の苦労話や、ドーマン法の詳しいプログラム内容や、どういう回復を遂げたかなど、楽歩の誕生から10歳までの出来事を時系列式で両親が対話形式で綴った本です。
ご両親の過去の出版は大畑さんの人生にどんな影響を与えましたか?それが今回の出版へ繋がっているんでしょうか?
この本は当然のことながら、親の目線で終始、語られており、私にはつっこみどころが満載な本でもあります(笑)
親と子。親子といえども立場が違えば、障害のとらえ方・受け止め方、価値観もすべてが違ってきて当然でしょう。

両親との写真
だからといって、この本のすべてを否定する気は毛頭ありません。ただ、この本を手に取り、障害児を抱え途方に暮れる多くのご家族がドーマン法を知り、わらをもすがる思いで、取り組まれた方は、一人や二人ではないはずなのです。
その人たちのことを思うと、なんだか私はとても胸が締め付けられてしまうのです。
「良いことづくめではないのに…」私は少なくとも子どもながらに気づいていたのに、ただニコニコと両親の傍らで微笑んでいた自分に罪の意識を感じずにはいられないのです。
なので、いつかは、障害者本人の、またドーマン法を取り組んだチョウの本人の目線で、ドーマン法の良いところもデメリットな部分もありのままを語りたいという想いが、今回の出版につながった一番の動機だと思います。
当時の新聞に載った『奇跡のラブちゃん』の本の紹介を抜粋しておきます。
障害は成長と共に悪化し、絶望的な状態であった時、ドーマン訓練法に出会い
毎日13時間にも及ぶ過酷な訓練に取り組むことになりました。
それから2年半、ラブちゃんはしっかりと歩き、はっきりと話し、
知性も同年齢の水準を超すまでになり「奇跡の回復」と高く評価されています。
本書は文字通り汗と涙の2年半を振り返りつつ両親が実際を語り、
ラブちゃんも体験談を寄稿しました。









